加藤 豊 神父
学生の頃、イスラエルはバビロン捕囚時にゾロアスター教の影響を受けてはいないかとの問いを師に投げた。その折、師からこてんぱんに叩かれた。つまり可能な推測ではあっても決定的な根拠がないのだ。しかも文化圏が違うと一喝されたのが印象に残っている。
しかし、今ではごく普通『聖書と典礼』の欄外解説にはいわゆる三博士をしてカルデアのマギではなかったかと触れているくらいだ。時が流れたのだと感じる。まだまだ「とんでも史観」として扱われている事例はたくさんある。そもそも現代の交通事情からは想像もつかないような移動さえ当時は馬や駱駝を用いてはかなりの広範囲に渡り行われていた。
中央アジアから東西を見るに、ゾロアスター教(あるいはペルシア文化)の影響を受けていない地域などあるのだろうか。北にはやがて建国されるロシアがあり東南に下ればそこはインドである。デーヴァ族には神であるものがアスラ族には魔であり、アスラ族にとっての神はデーヴァ族には魔である。ヒンドゥー教徒の神は、転じてパーシー教徒の魔でもある。にも関わらず、大乗仏教の時代となるとアフラ=マズダの神格は諸仏に引き継がれて行く。影響→混乱→総合という流れである。
流石に達磨即トマは言い過ぎだとしても、「法華経」には「放蕩息子」とよく似た話が出てくるし、南無阿弥陀仏が「永遠の命を信じます」とほぼ同じ意味なのは確かなのだから、この辺の関連性はもっと研究が進むことを期待してもいいだろう。
皆さんは浄土三部教の「観無量寿経」を読まれたことがあるだろうか。わたしは翻訳でしか知らないが、主人公は法蔵菩薩という人で、彼の人となりについて「和顔愛語」という漢字が当てられている。詳しくは「和顔愛語して怒らず」とある。
これを見て皆さんは何を思い起こされるだろうか。「柔和で謙遜な者」、あの方ではないか。
数年前、母が他界した。最晩年にはとある病院に入院しており、そこの医師から渡された名刺には「〇〇法人、和顔愛語」と書かれていた。念佛宗系の団体が母体だなとすぐに解った。もっとも真宗かどうかわからない(多分そうだと思うが)。どこも皆がんばっているのだと改めて知らされ想いに浸った。信じているものが異なる観念で語られていても、目的が近ければ共に歩んでいけるはずである。
しかし、どのような教団にも、どのような団体にも、ありとあらゆる場にわたしのようなものも居よう。その人もわたし同様に叩かれては成長させられ、また叩く側も当然、叩かんがために頑張っているだろう。