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王であるキリストをほめたたえよ

G.T.

 

[教会の典礼暦年最後の主日(2019.11.24)に向け、王であるキリストをほめたたえます。]

 

 初めに御言葉があった。

 御言葉は神であった。(ヨハネ1・1)

 

 御言葉は無力な新生児として

 天から来られ、

 ご自分の栄光を蔽い、

 私たちの間に住まわれた。

 

 仕えられるためではなく

 仕えるために、 (マタイ20・28)

 私たちが生きられるように

 ご自分の命を献げるために来られた。

 

 涙の庭において、

 私の重荷を背負われ、

 悲痛な御心が引き裂かれ

 「しかし、私の思いではなく、

 御父の御旨が行われるように」(ルカ22・42)

 と仰せになった。

 

 見よ、癒しを与えられた御手、

 油注がれた御足、

 アガペーの愛を語る深い傷跡を。

 自ら進んで残酷な釘に差し伸べられ、

 全ては私のために行われた。

 

 王であるキリストをほめたたえよ、

 私の内にある全てのものよ、

 聖なる御名をたたえよ、(詩編103・1)

 全ての名に勝る御名をほめたたえよ。(フィリピ2・9)

 

 御名はインマヌエルと呼ばれ、 (イザヤ7・14、マタイ1・23)

 驚くべき助言者、力ある神、

 永遠の父、平和の君と呼ばれる。(イザヤ9・5)

 アルファでありオメガてある

 万物の支配者。(黙示録1・8、22・13)

 

 生ける神の子、メシア、 (マタイ16・16)

 善い羊飼い、(マタイ10・11)

 道であり、真理であり、命である。(ヨハネ14・6)

 王の王、主の主、(黙示録19・16)

 世の罪を取り除く神の子羊よ。(ヨハネ1・29)

 

 私の心を調べられ、

 私を知り尽くしておられ、(詩編139・1)

 私を導かれ、

 聖なるご存在で私を満たしたまえ。

 

 王であるキリストをほめたたえよ、

 私の主、私の神よ。(ヨハネ20・28)

 

 アーメン。

 

 

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