G.T.
昔から宇宙や自然界に少しばかり興味があって、時々気が向くと、その分野に関する雑誌や本、写真集を気軽に読んだりしています。いつからその興味を持ち始めたのかは定かではありませんが、おそらく、初めて旧約聖書のシラ書42章15節~43章33節(『自然界における神の偉大さ』という小見出しを付けても良いのでは。と勝手に思っています)を読んで深い感銘を受けたことがきっかけだったのかもしれません。
あらゆる分野において科学が進歩する中でなされている多くの様々な発見を通して、神様の御業の偉大さと素晴らしさを少しでもより一層知りたい、より深く感じたい、と思っているからです。
太陽と星
「光り輝く太陽は、万物を見下ろし
主の御業はその栄光に満ちている。......
澄み渡る大空は天の高みの誇り
天の姿は栄光に満ちた眺め。
太陽は現れる時、日の出の時、あまねく告げる。
いと高き方の御業はなんと驚くべきものか。......
星々の輝きは天の美
主のいと高き所にあって輝く飾り。」(シラ書42章16節、43章1~2節、9節)
私たちの太陽は巨大です。100万個以上の地球は、端から端まで約160万kmの太陽にきれいに収まります。そして天の川には、太陽と同じような星が20億から30億もあるようです。
海浜に行って一握りの砂を拾えば、1万粒ほどの砂を手に持つことになるらしいです。宇宙には、地球上のすべての海浜の砂粒よりも多くの星があります。神様はそれらの星すべてを口の息によって創られ、それらすべての名前を知っておられる、と聖書が教えてくれます(イザヤ書40章26節、詩編33章6節、147章4節参照)。
神は言われた。「光あれ。」すると光があった(創世記1章3節)
ご存じかも知れませんが、光は秒速約 30 万kmで移動することが分かっています。この速度で、光が地球の赤道(約4万km)を1秒間に7回旋回できます。太陽の光は私たちの肌に届くまで8分かかりますが、巡航時速800kmで飛ばすジェット旅客機は太陽に到達するのに18年かかるでしょう。私たちの銀河の端から端までの距離は約10万光年あります(1光年は約9.5兆km)。ジェット旅客機がその旅をすれば1000億年かかるでしょう。地球から最も近い恒星は4光年離れていますが、そのジェット機がそこに到達するまで550万年かかります。
さらに想像を広げてみましょう。私たちの知られている宇宙は端から端まで約120億~150億光年で、さらに広がっています。現代の科学的証拠によりますと、観測可能な宇宙には少なくとも1000億の銀河があり、それぞれには20億から40億以上の星があるようです。
これまで発見された最大の恒星は、太陽の約500倍の大きさです。そしてもう一つ別の恒星は太陽の約650万倍の明るさがあります。では、超新星(スーパーノヴァ、爆発する恒星)についてはどうでしょうか。超高密度であるため、その物質の一匙分だけで数千トンの重さがあり、数十億の星のある銀河に相当する光を放射しています。
人とは何者なのか、あなたが心に留めるとは
しかし、これらの想像を絶する壮大さにもかかわらず、小さな赤ちゃんは、すべての銀河を合わせたよりもはるかに高い尊厳、価値があるのです。なぜなら、私たちが夢見ることも想像することもできないほど、何よりもはるかに全能で無限に偉大な神様が、私たちを母の胎内から知っておられるからです。(エレミヤ書1章5節、イザヤ書44章2節、詩編139章13節)。
ダビデが次のように詠っています。
「あなたの指の業である天を
あなたが据えた月と星を仰ぎ見て、思う。
人とは何者なのか、あなたが心に留めるとは。
人の子とは何者なのか、あなたが顧みるとは。」(詩編8章4~5節)
神様が創られた素晴らしく美しい天体の名前を超え、その天体のことを少しでも知れば知るほど、ダビデのこの詩篇は自分の心に響いてきます。ダビデは宇宙の夜空を見上げながら、なぜ神様が人間の面倒を見るのか不思議に思っていました。私たちも同じように、神様の偉大な栄光を振り返り、神様がなぜ私たちの面倒を見るのか不思議に思ったことはありませんか。
(続く)