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知れば知るほど

加藤 豊 神父

 

織田信長の性格を表す一句、「鳴かぬなら、殺してしまえ、ホトトギス」ってありますよね。

 

正直、信長公について知れば知るほど「えっ」という感じがしてきます。だって結局、信長は信玄や謙信が死ぬまで待つことになりました。だから、わたしは甚だ勝手にも、こういい変えたいと思っています。

 

「ホトトギス、鳴くまで待った、信長公」。

 

豊臣秀吉も然り、当時は、蓋を開ければ日本だけではなく世界中が戦国時代みたいなものでした。スペイン、ポルトガルの覇権がどこまでも伸びていました。国内は平定したものの海外では激しい戦闘があり、天下泰平もそれに巻き込まれるかも知れない。フィリピンがスペイン領にされてしまったことを知り、秀吉もまた明国にまで行こうとします。だから、わたしはこういいたく思います。

 

「ホトトギス、鳴く前に泣く、秀吉公」。

 

徳川家康も然りです。どこへ追いやられようともそこを自分にとって住み良い地にしてしまう。当時の関東は湿地帯で、本人もやれやれと感じただろう、と思いきゃ、なんだかユニークなこと考え始めます。で、結局、そこを都として栄えさせ、結界まで張りました。江戸は穢土から来ているらしい。徳川の旗にはありますね。「願求浄土厭離穢土」。彼は浄土宗の人ですからね。

 

「ホトトギス、絶えず泣かせた、家康公」。

 

まさに、知れば知るほど、逆も真なりと思えてきます。「論証が何処へ向かおうが、我々はそこへ行こうではないか」とプラトンはいいました。真理というものに対して実に誠実で勇気ある言葉です。

 

さて、先述の三武将と当時のキリシタンやバテレンについて、わたしは公平に見て行きたいのです。こんにちの日本人がまだなんとなくキリスト教というものに馴染めないのは、まず何よりも九州地区以外歴史が浅いからですが、それにも増して戦国時代当時のスペイン、ポルトガルによる世界支配への事績がやはり現代日本社会において決していいイメージではない(というか悪いイメージです)。

 

案外この辺が、我々身内の間でまだまだ克服されていないのではないか、とわたしは思っています。実際、語りたがる人もいませんしね。「知れば知るほど」何か新たに前に進むヒントに出会えるならば、わたしたちは「逆も真なり」とか「知れば知るほど」を拒んではなりません。時には純粋なカトリック信者にはかなりキツイ事実も掘り起こされてくるとは思いますが、むしろ社会からの不信感こそ宣教の障害となり、反対に公正さこそ宣教を促進するでしょう。結果的にそれはわたしたちの益であり、その人の益だと思うのです。