「諸暁」が「無情」なわけではないだろう(コヘレトが観たもの)
加藤 豊 神父
仏教は(そのコアな部分については)徹底した無常観に立っている、といわれる。そう見えるのは、わたしがカトリック信者だからというより、人間の一般的な感性による視点ではないだろうか。「形あるものはいつか壊れる」とか「万物は流転する」とか、世界の実相に相対した人たちの結論は、古のギリシアにおいても語られたし、のみならず各地にあった。あまりにも当たり前な事物への理解であろう。
しかし、それを受け入れ、生きた人たちが、生身の人間だったという点では、その現実は峻厳で受け入れ難い真理であっったからこそ、人はそれを受け止めた後どうするのか、という模索が始まった。
無常な事物への認識は、「コヘレト」でも、「草は枯れ、花はしぼむ」と書かれたイザヤ書(40章7節)にもみられる。だから、こういうことは、わたしが偉そうにもっともらしくいうことではなく、優れた解説書のようなものが沢山あるから、それを探してもらったほうがいい。しかし結局それは「本」であるから、ともすれば知識人の嗜みで止まってしまうこともある。これまたよくあることなので、やはりわたしが声高にいうことではないのだが。
人間はスピノザがいうように、「永遠だと感じ。また体験する」生き物である。にも関わらず、特定の状態がいつまでも続くわけではないから、そこに必然的に「苦」が人のなかに入り込む。いつまでも若くいたい人も衰え、如何なる時も元気でいたい人でも病を負うことになってしまたり。「諸行無常」にはネガティブなイメージが付き纏う。
「コヘレト」は綴る―「日は昇り、日は沈む。」(1章5節)。それが毎日、繰り返されるが、太陽は「こりる」ことはなく、暁は地を照らして輝き、それを観に受けた人間の情感は目覚め、実際に命の躍動を感じる。
ところで「諸行無常」の向こう側に関することは、仏教では(大乗仏教の経典以前の素朴な教説であれば)それを語らない(だからといって、わたしは自分が「大乗非仏説」の者だといいたいわけではない。むしろ種々の理由からその逆である)。そもそも向こう側には、向こう側の世界があろう(それがあろうとなかろうと、どっちみち「こちら側」では「諸行無常」であるという)。
しかし、飛躍を伴わない実存の前例はほとんどない。「わたしたちは見えないものに目を注ぐ」と不思議なことをパウロはいう(コリントの信徒への手紙② 4章18節)。
「無常」だからこそ「無情」にはなれず、「情」はごく普通の社会生活、特に人間関係には重要な要素だ。だから「情を交えることを言い難い場」において、「神学者」と「仏教学者」が話し合っても、そこに残るものは概ね相互の類似点と相違点の確認だ。
現場の人間同士の対話がなければならないと思うが、道は険しいだろう。たまたまそういう機会があっても「信じる対象」と、そこから得られる「救い」というテーマよりも、何故か社会問題とその克服のための具体的すぎる活動に、話が向かうことが多い気がする(勿論それだって、実際に大切なことだと思う。だからわたしも関わってきたわけだし、「どうでもいい」わけでは決してない)。
最近、思い出したことがある。中学生の頃、書店に「日本の寺に仏教はない」というショッキングなタイトルの本を見かけたことがあった。その内容は、要は「大乗非仏説」をいいたいわけだが、当時はその通りだと思っていたものの、この頃はまた違って思えてきた。
「みんな僕の本を見て(ちゃんと読んでないのに)異端だ!異端だ!っていうんだよね」と嘆いていた大先輩の司祭がいた。もう亡くなられたが、まあ、笑いながら言っておられたので、むしろその折は落ち着きも余裕も感じられたお姿であったが。
もし、「教会(共同体)の中に、復活者キリストは生きていない」と叫ぶような本があったなら、そのタイトルを見た途端、わたしの(わたしだけではないが)関心を大いに誘うだろう。そして振り返り、何故そう思われてしまったのだろうか、と回想したりするのだろうが、その本の著者が何と熱心なキリスト者であった、という「落ち」を知った途端、かなりの反省材料として意識されるだろうと思う。これも極端で突飛な想像だが然もあらん(仮にであって、そんな「本」はわたしは知らないし、いわんや上記の大先輩がその著者だとの誤解無きよう)。
数年前、エキュメニズム(教会一致)の仕事をしていた友人が、司祭(ローマ・カトリックの)も牧師(プロテスタント諸教会のいつくかの教派の)も一緒に(バラエティーに富んだ顔ぶれだったが)、普段はあまり付き合いのない正教会(そこはロシア正教だったのだが)を訪れた。
その日、姿を現した司祭は(この人は「東方正教会」の、いや礼儀を重んじ「ビザンツ・カトリック」と言うべきか、とにかくそこの司祭)目の前のメンバーを見て怪訝な顔付きを隠すことも憚らず、「西の教会の連中がいったい何の用なのかな」といわんばかりであったという。
ところが、その西の教会の皆が皆、そこの司祭の話を聞いて心を打たれてしまったらしい(友人には言った「なぜ、わたしも連れて行ってくれなかったのか」と。すると「だってお前はメンバーに入っていない」と)。その場にいた司祭や牧師たちの中には、「わたしたちはいったい何をやっているのだろう」という気持ちになったり、みずからの活動の「空しさ」を感じたという人もいたという。
基本中の基本であるようなことは、応用編において常に忘れがちとなり、「今更そんなことを言ってもねえ」と揶揄されたりするが、先の正教の司祭の信仰に基づく「まるでしっかりと大地に根を下ろしたような」頑固一徹で骨太な信条(というのは本来当たり前なのかもしれないが)に、エキュメニズムのメンバー(そこにいた)皆が皆、ガツンと来るような感触とその実感を得て帰宅した。
「〇〇教」なのに「〇〇がない」という論理は単純な正論ではなかったわけだ。つまり、「もともとはこうであって、それが時代とともに変遷して、それゆえ、もとの状態ではないから、もう今や『〇〇がない』という意味」だけではない、ということだ。それは確かにそういう理屈も展開できるが、「〇〇は、何ですか」と聞かれた際に、「〇〇は、これです」と言えるものが「いま(いまでも)、ここで(ここにも)」生き生きと営まれているか否かなのだ。
「打って出る宣教」を主張した人がいた。そのスローガンは聞くにはかっこいい。だが、そもそも、そのために何かする必要性を「正教会」の側は感じていない(ように思われた)。それは消極性を有するからではなく、かえって「そうしなくても揺るがない」という強力な力を秘めているからだと思う。「打って出ようが、守りに入ろうが」それは重要ではない。宣教に必要なのは「根気」であろう。
「何もかも物憂い」という、コヘレトから観た世界(コヘレトの言葉1章8節)。しかし、その現実を嫌という程受け入れつつも、それでも人間を始め、生きとてし生けるものたちは(微妙な非生命であろうと)生きるための戦いをやめられるはずもなく、
「物憂い」物事を経て忍耐を身につけては、人はまた「諸行無常」の向こう側に想いを馳せる。