G.T.
3月28日の「受難の主日(枝の主日)」のミサで、第二朗読が読まれている間――「キリストは/神の形でありながら/神と等しくあることに固執しようとは思わず/かえって自分を無にして/僕の形をとり/人間と同じ者になられました......」(フィリピの信徒への手紙2章6節~11節参照)――なぜか、主イエスがゲツセマネの園で捕らえられる直前に言われた次の言葉が、一瞬頭をよぎりました。
「私が父にお願いできないとでも思うのか。お願いすれば、父は十二軍団以上の天使を今すぐ送ってくださるであろう」(マタイ福音書26章53節)。
かつて、この『軍団』というのはどういった区分なのかを簡単に調べたことがありますが、当時の帝政ローマ時代では、一つの軍団(ラテン語では「レギオー、legio」)は約6千人の軍団兵(「レギオーナーリウス、legionarius」)編成のものだったと言われます。単純に計算しますと、「12軍団以上の天使」は7万2千人以上の天使ということになるでしょう。
このように、天使の軍勢が当時の世界最強のローマ軍のイメージに重ねられ、また「12」の数字は、聖書でよく使われる重要な事柄を表す「完成数」(「12部族」「12使徒」など)というわけで、「12軍団以上の天使」とは、「ローマ軍さえもかなわないほどの、数多く力強い天使」ということを表しているでしょう。
では、さらに考えてみれば、これほどの数の天使が発揮できる総合力はどのようなものになるのでしょうか。イザヤ書には、神を罵り、神の民の滅びを図ろうとしたアッシリア王から神の民を守るため、一人の天使が一晩でアッシリアの陣営で18万5千人を全滅させた、と記されています(37章36節参照)。これも単純計算すれば、一つの軍団の天使が11億1千万人を、十二軍団以上の天使が133億2千万人(今日の世界人口の約2倍)以上を全滅させることができるということになるでしょう。
すなわち、ゲツセマネの園で、主イエスはその気になれば、それほどの力強く、大いなる守りを御父から得ることができるにもかかわらず、私たちの救いのために、御受難と十字架の道をお受け入れになり、御父から与えられた使命に完全に果たされようとされ、そのような助けをお求めにならなかったのです。
確かに、主イエスを御自身の意志に反して連れ去るほど、強い人間の力が地球上のどこにもなかったことは明らかです。主イエスが連れ去られることができる唯一の方法は、御自身が連れ去られることをお許しになることでした(ヨハネ福音書10章18節参照)。そのため、主イエスは後に、ピラトに「神から与えられているのでなければ、(あなたは)私に対して何の権限もないはずだ」(ヨハネ福音書19章11節参照)と言われたのです。
悪霊を追い出され、病人を癒され、死者をよみがえらせた後、万軍の神なる主の名によって来られた王の王、主の主は、軍馬ではなく、子ロバにお乗りになって、聖なる都に入られました。同行者たちは剣ではなく、葉のついた枝を振り回しながら同行しました。その一週間後に建てられた彼の勝利の「記念碑」は、見た目が立派なアーチではなく、人が目を向けたくない十字架でした。
主イエスの地上での始まりは、恐ろしいほど質素なものであり、その終わりも変わりなく、むしろより酷いものでした。木で作られた飼い葉桶は、木で作られた十字架を暗示しました。最初から最後まで、屈辱的な内容でした。宿屋には部屋がなく、馬小屋の悪臭の中で生まれました。ヘロデ王に追われ、田舎の訛りが濃厚な地方であるガリラヤで育たれた―ペトロは自分の訛りによってイエスの仲間であることがばれました(マタイ福音書26章73節参照)。
主の弟子たちは、教養や学識のある者ではなく、僻地の下層階級の出身でした。最も親しい仲間の一人が主を裏切ることを申し出たとき、大金を求めませんでした。主イエスの価値は、旧約聖書に記される奴隷の「簿価」の銀貨30枚に過ぎないと見なされていました(出エジプト記21章32節参照)。
最終的に、ローマ権力者に引き渡されたとき、ローマ市民の犯罪者に通常課される罰の代わりに、主イエスは、征服された民族の奴隷や反逆者にのみ課される刑罰が与えられました―鞭打ちと十字架。この二つの刑罰は、苦痛だけではなく、究極の屈辱を伴うものでした。1世紀のユダヤでは、男性と女性は通常、灼熱の中でも頭の先からつま先まで身を覆っていましたが、十字架につけられた人は、裸にされ、誰もが見られるところに置かれました。
しかし、これは、暴力と屈辱についての物語ではなく、「究極なる無条件の愛と謙り」についての実話です。それ故、「受難の主日(枝の主日)」に、聖パウロが書かれているフィリピの信徒への手紙(2章6節~11節)が読まれています。神なる御言葉は、栄光溢れる天のいと高きところから、御自分の意志で人間の窮地の深みに飛び込まれ、私たちの乱れた世界に入り込まれました。それだけでは不十分であるかのように、主はさらに奴隷と同じような地位をお受けになりました。
主イエスは、御誕生の時も、宣教の時も、死の時も、自ら進まれ身を低くされたのです。誰も主の命を奪うことはできなく、主が御自分の命を自由に捨てられたのです。全ては、私たちのためになされました。
そうでなければならなかったのです。最初のアダムの「プライド」によって引き起こされた全ての人の「死」は、新しいアダムとなるキリストの「謙り」によって、全ての人が生かされなければなりませんでした(コリントの信徒への手紙①15章21節~22節、45節参照)。「この新しいアダムは『十字架の死に至るまでの従順』によって、アダムの不従順を償って余りありました。」(カトリック教会のカテキズム411項)。
すべての被造物より最初にお生まれになった御子は、御自分を最初のアダムが作られた塵に身を沈められましたが、御父なる神は御子の謙りに応えられ、すべての王や創造物よりもはるかに高く挙げられました。
主イエスが御自分の栄光を共有してくださるために、私たちを招かれています。まず、私たちも自分自身を謙り、主の栄光に導く道、私たち自分の十字架の聖なる道を歩まなければなりません。