G.T.
マタイによる福音書では、ファリサイ派の律法学者の一人がイエスを試そうとしてこう尋ねました。
「先生、律法の中で、どの戒めが最も重要でしょうか」。イエスは言われました。「『心を尽くし、魂を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい』。これが最も重要な第一の戒めである」(22章35~38節)。
この福音箇所を読むたびに、『心を尽くし、魂を尽くし、思いを尽くして神を愛する』とはどういうことか、改めて考えさせられます。
心を尽くして
2010年カンヌ国際映画祭の特別グランプリ賞を受賞した『神々と男たち』(原題“Des Hommers Et Des Dieux”)という、1996年にアルジェリアで、7人のフランス人修道士が武装イスラム原理主義者によって誘拐・殺害された実話を基にした、ヒューマンドラマの映画があります。信仰や暴力、人間性の問題を深く考えさせられる素晴らしい作品です。
その映画の序盤のシーンで、イスラム教徒の若い女性が年老いたカトリック修道士に「恋に落ちるとはどういうことか」と尋ねる場面があります。修道士は素晴らしい答えを返しました。「あなたの中に、生き生きとした何かがある。それは抑え難く、心臓の鼓動を速める。それは惹きつけられるものであり、渇望なのだ」。そして、女性が修道士に「恋をしたことがあるか」と尋ねると 、 修道士はこう答えました。「ええ、何度もある。それからさらに大きな別の愛に出会った。そして、その愛に応えました」。
「心を尽くして主を愛する」ということは、私たち自身の核心に、『カトリック教会のカテキズム』(以下「カテキズム」)の表現を借りれば、「自分の理性にも他人の理性にも把握し難い、私たちの秘められた中心」があることを認識することだと思います。それは決断の場であり、生死の選択の場であり、神の似姿である人間が神と真正面から見つめ合う場、すなわち、契約を交わす場です(カテキズム, 2563項参照)。
心は、感傷的なもの以上に、私たちの最も深い住処であり、私たちが偽りの自分ではなく、本当の自分を生きることができるように、自分自身についての真実を知るために引きこもる場所なのだと思います。私たちは心を尽くして私たちの主なる神を愛します。なぜなら、それ以下の愛では、私たちには決して十分ではないからです。心は、自分が何のために作られているのかを知っています。
聖アウグスチヌスはこの有名な言葉を残しています。「主よ、あなたが我々をお作りになりました。故に我々の心はあなたの内に憩うまで休まらない」(『告白』、第1巻)。
魂を尽くして
カテキズムでは、「魂」を人間の最も内面的な側面であり、人間にとって最も価値のあるもの、それによって人間は最も特別に神の似姿にかなうものである、と述べられています。すなわち、「霊魂」は人間の中の霊的原理を意味します(カテキズム, 363項参照) 。そして、私たちを養うのに十分な唯一の「魂の糧」は、神の愛と、神の愛の中に生きることす。
詩編はこのように強調しています。「鹿が涸れ谷で水をあえぎ求めるように/神よ、私の魂はあなたをあえぎ求める。/神に、生ける神に私の魂は渇く。/いつ御前に出て、神の御顔を仰げるのか」(42編2~3節)。
「愛しなさい」という主イエス・キリストの命令は、キリストなしでは決して理解できない恵みと特権を、私たちに明らかにしています。それは、「魂は無償で神との交わりに高められることができる」(カテキズム, 367項)というものです。愛はこれを可能にします。
思いを尽くして
『神々と男たち』では、修道士の小さな共同体は、自分たちがとてつもない脅威にさらされて暮らしていることに気づいています。テロリストがいつでも修道院に押し入り、彼らを連れ去り、拷問し、殺すかもしれないのです。このまま留まれば、これが自分たちの運命だと彼らは知っています。彼らは残るべきか去るべきかの決断を迫られます。
一人の若い修道士が、すべての不安と格闘しながら、ある夜遅く、独房で苦悶の祈りを捧げました。「助けてください、助けてください!私を見捨てないでください。見捨てないでください!どうか助けてください!」と。その懇願は悲鳴に変わり、他の修道士たちを起こしました。修道士たちは彼が襲われたのか、と思いました。しかし、この若い修道士はその後、その絶望的と思われる状況に信仰の心を向けるようにします。
そして彼は、非常に意図的に、思いを尽くして、主を愛し始めます。共同体が決断に近づくにつれ、この修道士は再び独房で、一人で祈っているところの場面があります。しかし、今回は、彼の祈りはささやき声です。「あなたです。あなたは私を包み込み、私を支え、私を取り囲んでくださいます。あなたは私を抱きしめてくださいます。私はあなたを愛しています」。
「恋に落ちること」
あるイエズス会の神父*はこのような美しく意味深い言葉を残しています。
「神を見つけることほど、現実的なことはなく、
完全に、そして最終的に恋に落ちることほど、現実的なことはありません。
あなたが恋に落ちるもの、あなたの想像力をかき立てるものは、すべてに影響を与えます。
朝、何に起きるか、夜は何をするか、週末をどう過ごすか、何を読むか、
誰と知り合いになるか、何に胸に打たれるか、何に喜びと感謝の念で驚かされるかは、
それによって決まります。
恋に落ち、恋をし続ければ 、それがすべてを決めます。」(拙訳)
(*https://www.ignatianspirituality.com/ignatian-prayer/prayers-by-st-ignatius-and-others/fall-in-love/)