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転出・転入(1)

加藤 豊 神父

 

「実態」と「記録」の一致、「信仰」と「気分」の違い

 

 洗礼を受けると「洗礼台帳」に、堅信を受けると堅信台帳と「洗礼台帳」に、結婚をすると婚姻台帳と「洗礼台帳」に、帰天すると死亡台帳と「洗礼台帳」に記入されます。

 

 さて、ここまでで四つの「台帳」が登場しました。そして、そこには一つの特徴があることにお気づきでしょうか。それは「四つの台帳」のうち「洗礼台帳」だけが、ずっと他の三つの台帳に伴っている、ということなんです。

 

 ここに「揺籠から墓場まで」という言葉に見る事象すなわち、「その人の一生に連れそう教会の姿」を可視化したものが見出せます。もし「洗礼台帳の記入欄が全て埋められている」とすれば、その人は既に帰天していることになります。全ての秘跡受領の記録が記入されたときの洗礼台帳は、まさにその人の「この地上での信仰生活の客観的な記録」です。

 

 実は、各小教区(各教会)には、上の四つ以外に五つめの台帳があり、どこの教会であっても(そこがカトリック教会であれば)小教区には全部で五つの台帳が揃っています(世界共通です)。これに加え、そこが正式な小教区であれば必ずそこに主任司祭がいます。

 

 もし、五つの台帳がそこになければ、その場所は小教区のように見えても、分教会だったり、巡回教会だったり、集会所だったり、修道院や学校のチャペル(その施設の聖堂)だったりします(ある学校のチャペルのほうが実際の小教区の建物よりも立派なことが時々あり、それだけならまだしも結婚式場のほうが小教区の聖堂より立派な場合がありますが、いずれもそれらは現実には小教区ではありません)。だから(小教区ではないので)「台帳」なんて置かれていないのです。下手をすると、その場では「記録」より「気分」が優先され、長続きしない信仰に陥ってしまうことさえあります(信仰というより、これも「気分」でしょうね)。

 

 そういう場におられる神父様は、一見、主任司祭に見えたとしても担当司祭だったり、チャプレン(施設司祭)だったり、「ミサ(その他の秘跡の執行)のみのために」派遣される司祭だったりします。逆に「小教区なのに主任司祭がいない」ときには、ご近所の教会の神父様や教区本部から通う神父様が小教区管理者として、主任司祭不在期間の司牧責任を代行することになっています。それゆえ「小教区管理者」は「主任代行」と呼ばれます。

 

 さて、上記の四つの台帳以外の五つのめの台帳とは一体なんでしょうか(全部で五つですから、上の四つだけではないわけです)。それは通称Dカードといわれる「信徒籍台帳」のことです。洗礼台帳は戸籍と同じで洗礼を受けた教会(生まれた教会、本籍地)から動かされることはありません。その内容(記録の確認)が必要なときには、いわば戸籍謄本が発行されるのと同じような流れで、「洗礼証明書」が原本に基づいて発行されます。ということはつまり「洗礼台帳(じたい)」が動かされることはありません。

 

 それに対して「信徒籍台帳」は、それまでいた教会から別の教会へ引越すようなとき(転出転入)には動きます(洗礼台帳を戸籍に例えるなら、信徒籍台帳は住民票に例えることができますね)。転出入の手続きというのは、皆が皆、「この教会」から「あの教会」への引越しを経験する訳ではないですから、作業としては結構普段は知られることもないのですが、だからといって、引越し先の教会に自動的に「信徒籍」が移るなんてありえないことです。「主の教会だからその度に奇跡が起こってなんとかなっているんだろう」、くらいに思ってしまうと大変なことになるわけです。

 

 以前、ある教会で、いつも顔を合わせていた人が突然お亡くなりになって、葬儀も無事終わり、「死亡台帳」への記入をしようとしたとき、「受洗教会もここだよなあ」と、洗礼台帳でその人の受洗記録を探してみたところ、「ない、どうして」となり、生前、仲の良かった人たちや、ご遺族(未信者なので詳細は解らない)に、その人のことを詳しく聞いてみたら、どうやら洗礼はこの教会ではなく、別の教会だったことがわかりました。

 

 その証言通りに、その教会に電話してみたら、やはりその教会だという確認が取れたました。ただし、記録上は何十年も前からその教会に所属したままで、そのまま何十年もわたしの教会に通っていたということだったのです。つまり信徒籍台帳がそのまま「前にいた教会」に置きっ放しになっており、ということは、つまり「転出入の手続き」をしておらず、ということは、つまり「毎週ミサでお会いしていたにも関わらず記録上は所属信徒ではなく」、ということは、つまり「記録上は自分の教会ではない教会に最後まで通い続けた」、ということは、つまり「実態と記録が別々」になっていた、というケースであって、慌てましたね。

 

 まあ通常、こういう手続きは「人が死ぬわけじゃないから」とかいって、後から実態と記録の整合性をつけたりすることも多々あることですが、このときは「人が死んでいる」わけです。わたし自身が、わたしなりにこの問題の根にあるものはなんだろうか、と考えるとき、まず思い浮かぶのは、こうした手続きが「信仰の本質とは無関係なことと思われてしまう」ような傾向があるのではないか、ということですね。

 

 確かに信仰はそれぞれの心の問題といってもいいし、そう考えてくださることには、何ら支障はないとは思いますが、ただ、教会の信仰は観念的なものではありません。日々の生活を通して生かされる、いわば「地に足の着いた」信仰であらねばならないわけです。それゆえ「地上の教会の地上的な仕組み」について知ることなく、ただただ「信仰の知識だけを習得してそれでよし」というのではちょっと不十分なところがあるといえるでしょう。

 

 日本の教会は宣教師さんたちの活躍によって始まっているし(九州地区はまた別ですが)、とにかくまずは種を蒔くことからスタートしなければならなかったのは必然ですね。それに、教会の数だって当時は限られていたし、全国各地にあったわけではありませんから、手続きが後回しになってもその当時なら仕方ありませんでした(書類もラテン語でしたしね)。だからこの種の作業が司祭にしか管理できなかったわけで、「遠くのこと」でした。それは時代的な制約でもあったでしょう。でも、いまでもそのままでいいんだ、となってしまうと、それはまずいですよね。

 

 「共同体の自立」が話題に上る今日この頃です。小教区のそれは、気持ちだけでは無理だし、増して「気分」では無理です(気持ちはいうまでもなく一番大切ですけどね)。それよりも構造的な仕組みが分からなければ、それはできないでしょう。しかも、その規模が拡大して活動が増えているいまの各地の状態に照らしてみれば、それを支える「組織の下部構造的な部分」が本来は時宜に応じて益々しっかりしていなければならないはずです。

 

 でも、こういう類のことというのは、地味だし、楽しくもないし、かっこよくもないし、面白くもないし、心の問題でもないし、なんだか面倒だし、(ということで「気分」とは正反対な物事ですからね)。あまり人は興味を示しません。むしろ「どうでもいいじゃない」くらいに思われていたりしますし、「心の問題ではない」のだから「霊的な務めではない」くらいに誤解されています。しかし、こうした誤解は表面的で浅い捉え方でしょう(組織の下部構造を担うある修道士がいるが彼がどれほど祈りの人であることか)。

 

 それでいて活動だけが活性化して行けば(それすらいまや難しいのですが)、気づいたときには誰にも支えきれない「頭デッカチ」な教会共同体となってしまって、フラフラと揺らいでしまうのは当然ですよね。もとより「楽しさ」や「面白さ」だけが信仰生活の価値基準となってしまってはなりませんし、救いを求める人々の「しるし」とはなり得ない。イエスの十字架や受難がいざというときに救済力を発揮できなくなってしまいます(もちろん「楽しい」ほうがいいが、それ「だけ」なら世俗にも沢山あるわけです)。

 

 教会における様々なレクリエーション的なものはむしろ教会に親しんでもらうためのものであるという意味でおもに洗礼を受けたばかりの人や子供たちに楽しんでもらうものであって、大人の信仰というのは、それだけではちょっとね。

 

 無論「自分は救われたし、他人のことなんてどうでもいい」と考える人なんて一人もいないのですが、それでも人間は弱く自分の「居場所」が一旦出来てしまうと、「居場所を求める他の人も同様にいる」ことを忘れがちです。わたしたちは、自律的なキリスト者として「地に足の着いた信仰」を求めたいものです。

 

 従って、これまでに「転出入の手続きを経験された方々」のそれは、貴重な経験であるといえます。また、お友達のために、それを手伝われた方々のそのときの経験は、やはりとても貴重な経験であったとお考えくだされば幸いです。

 

 更に、たった一度でも「わたしのは大丈夫かしら」と心配をされた方々も幸いです。なぜなら、それだけでも、「こんなものがあったのか」と思われただけでも、その信仰が観念的なものになるのを防いでくれる大きな恵みとなるでしょうから。